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第二十九回 子ども達がいじめに打ち勝つ知恵と勇気を与えるために

 弱虫がいじめに立ち向かった日

私は、父が日露戦争から帰り、北海道釧路連隊司令部に勤務している時、明治39年8月16日に北海道釧路陸軍官舎第二号で生まれました。
生後6ヵ月の頃、母乳が出なくなり困っていたところ、当番兵が近所の牧場からもらってきた牛乳で中毒を起こし、虚弱体質になってしまいました。
小学校に行っても一番チビで弱虫、運動会でもビリ。転校する先々で、いつもいじめられていました。一方、3つ違いの兄は陸軍大学を恩賜の軍力で出た程の逞しい大男でした。
 山口から広島の小学校に転校した2年生の時、さらにいじめは酷くなり、ついに耐えられなくなった私は兄に相談しました。
すると兄は「便所で小便をしている、そのすきを狙って、いじめた奴を背後から押してみろ」と言いました。
 私は心を決め勇気を出して、いつもいじめる同級生の大将が用便中に、後ろから両手でドンッと思いっきりついたのです。ところが押し方が強かったせいで、彼は小便壺に落ちてしまいました。
さぁ、大変! 先生は後始末に一苦労です。尿で汚れた臭い服を脱がせて洗濯しなければならなかったのですから。この事件は、瞬く間に校内の話題となりました。
 


悩みを抱え込む子ども達へ


 当時、私は遠足で2キロの距離さえも歩くことが出来ずに、担任の先生におんぶされたほどの弱虫でした。
しかし、この事件で「本当は悪さ坊主なのだ」と思われ、女先生から厳しく注意を受けた程です。以来、その学校に在学している間、一度もいじめられることはありませんでした。
 この体験は「いじめで悩む子どもをどうしたら救えるか」という問題のヒントを含んでいます。一つが、私に自分の悩みを相談できる身近な人がいたこと。
もう一つは、実行した撃退法が完全勝利をもたらす決定打であったことです。兄は、私に自身でいじめを解決するための知恵を授け、勇気と撃退の成果による自信を与えてくれました。
「何ごともやれば出来る!」私の中で意識革命をもたらしたのです。
 以前にも増して暴力的・精神的ないじめにより、幼い命を自ら断つ悲しいニュースが後を絶ちません。そのたびに「先生や家族に相談できていれば何か変わっていたかもしれない」と胸を痛めています。
子どもがどんな悩みでも相談できるようにいつも温かい心で向き合っていきたいですね。






昇地 三郎先生(しょうち さぶろう)
1906年、北海道釧路生まれ。医学博士・文学博士・詩人。広島文理科大学卒(心理学)。
三才児教育学会会長。
「手作りおもちゃ親子愛情教室」はユネスコやコロンビア大学など世界でも高く評価され、テキストも5ヵ国で翻訳されている。4年連続世界一周講演。
昇地三郎先生の5年間の活動が掲載されています。
http://blogs.yahoo.co.jp/shiinomi100


第二十八回 キラリと光る両親の姿勢が子どもの中に永遠の輝きを宿す

 発見!世界のダイヤモンド人間

 ダイヤモンドの指輪。それは、お母さんのあこがれの宝石です。ところで、ダイヤモンドはなぜ宝石なのでしょう?愚問かもしれませんね。希少価値だからです。さて、私達の身の回りにいる人で、宝石に相当するダイヤモンド人間がいるとしたら、どのような人でしょう?
 私は、昨年12月に100歳を過ぎて5回目の世界一周講演旅行に出かけました。その途中でオーストラリアとニュージーランドを訪問し、素晴らしい体験をしました。この2つの国で、心温まる出会いがあり、何人ものダイヤモンド人間を発見したのです。 

大人になっても輝き続ける親の姿勢

 最初の一人は、オーストラリア・シドニーで泊ったシャングリラ・ホテルのゲストマネージャー・ロザリニさんです。ロザリニさんは、私が104歳と聞いて、すぐに電話を下さいました。「何かお手伝いをすることはありませんか?果物をお届けしたいです。ご希望は?」と。外出から帰ると大きな完熟マンゴーが3個も部屋に届けられていました。
 2人目は、ニュージーランドの港にあるレストランで出会った方です。私が広げた旗の中に「104」の数字を見つけた中年の男性が、いきなり植え込みを乗り越えて握手を求めてきたのです。片手に持ってきたワイングラスを私に手渡してくれました。
 3人目は、小さな子どもを2人抱えて私の方へ駆け寄ってきたお父さん。中国からの観光客です。なにやらしきりに話しかけてきます。「おめでとうございます!104歳ですか?素晴らしいですね!ぜひ、うちの子ども達の頭を撫でてください」このような内容と受け取りました。
 3歳頃までは、親が何を考えているのか、まだ十分に理解できません。しかし、父親が老人を敬う姿は理解できます。幼い時でも、良いことや嬉しいことはわかるのです。これを知的な認識ではなく、「パターン認識」と言います。常々私は「親子でおもちゃを作ること」を、また、九州大学名誉教授の井口潔博士は「江戸時代の寺子屋教育・素読」の大切さを強調しています。いずれも幼年期の「パターン認識」時代に合致した教育法です。幼い頃にダイヤモンドを見た子どもは、大人になっても、石ころの中からダイヤモンドを見抜く力がずっと備わっているのです。




昇地 三郎先生(しょうち さぶろう)
1906年、北海道釧路生まれ。医学博士・文学博士・詩人。広島文理科大学卒(心理学)。
三才児教育学会会長。
「手作りおもちゃ親子愛情教室」はユネスコやコロンビア大学など世界でも高く評価され、テキストも5ヵ国で翻訳されている。4年連続世界一周講演。
昇地三郎先生の5年間の活動が掲載されています。
http://blogs.yahoo.co.jp/shiinomi100


第二十七回 瞳の中に宿るたくさんの可能性!子ども達は未来の希望の光

年の差100歳!4歳と104歳、夢のステージ

 その日、私は腰を低くして、あたごはま幼稚園の園児達からゴールドメダルを2つ首にかけてもらいました。
 メダルには、「けんこうで、がんばってください」「いつまでも、おげんきで」とひらがなで書かれています。貰った私と園児達との年の差は100年です。メダルを受け取る前に、35名の園児達が「104歳まであと100年、頑張ります!!」と大声で唱和し、1500名の観衆から笑い声と共に大拍手が湧きました。
 これは、アクロス福岡・シンフォニーホールで開かれた福岡県後期高齢者医療広域連合が主催する「健康長寿福岡大会」での出来事です。 

子ども達の瞳の輝きに未来を感じながら

 私は、2007年に世界一周講演旅行の途中、モスクワを訪問しました。モスクワ心理学研究所95周年、モスクワ心理教育大学10周年記念行事で「手作りおもちゃ親子愛情教室」の教育効果を講義・実演し、名誉教授の称号をもらいました。その後、開催されたレセプションには、モスクワ市役所大ホールに1000名の招待客が集まり、延々と3時間半も続きました。
 その中で、幼稚園児5名が着飾って登場し、童謡を歌い、それぞれが将来の夢を語りました。「私は、大きくなったらモスクワ心理教育大学に入り、博士になります」…それぞれが夢を発表するたび、場内で万雷の拍手が起こったのです。この時の子ども達の目の輝きは今でも忘れられません。「日本でもいつか子ども達に同じ体験をさせてあげたい」…この願いが、今回の「健康長寿福岡大会」で実現したのです。
 福岡大会で撮影した写真を見ると、園児達の目は、レセプションで夢を語ったモスクワの子ども達に負けないくらいキラキラと輝いています。私が日課にしている棒体操を、ねじり鉢巻とハッピ姿で元気いっぱい踊ってくれた、あの純真無垢な表情に、私は日本の明るい未来を感じました。
 後日、父兄の皆さんの中に、涙を出して喜んだ方がいたと聞き、この大会は大成功だったと満足しています。




昇地 三郎先生(しょうち さぶろう)
1906年、北海道釧路生まれ。医学博士・文学博士・詩人。広島文理科大学卒(心理学)。
三才児教育学会会長。
「手作りおもちゃ親子愛情教室」はユネスコやコロンビア大学など世界でも高く評価され、テキストも5ヵ国で翻訳されている。4年連続世界一周講演。
昇地三郎先生の5年間の活動が掲載されています。
http://blogs.yahoo.co.jp/shiinomi100


第二十六回 のどん底から上を目指して言葉の力で「落ちこぼれ」が人気者に!

 
父母がくれた言葉の愛情に感謝

 8月16日に104歳になりました。心身共に元気です。私がこの年まで生き抜くことが出来たのは、父母の達見(優れた見識)にあると感謝しています。
 前回、私が小学校の頃に、島の若衆頭の一言から生まれて初めて「生きる力」を感じた思い出をお話しました。その後の私をさらに変えたのが、父母の言葉なのです。
 生後6ヵ月目に母乳代わりに飲んだ牛乳で中毒を起こし、九死に一生を得たものの、師範学校に入学する16歳までは虚弱児で過ごしました。島の若衆頭の「こいつは頭がいいぞ!」という言葉に小さな自信が生まれましたが、依然、苛められても反発できない劣等生でした。

絶望の淵から引っ張りあげた一言

 学受験(今の高校)に失敗し、失意のどん底だった時のことです。兄弟の前で、母親が「三郎はやり手だからね」とさりげなくつぶやいたのです。私のどこが「やり手」なのかは自覚できませんでした。しかし、不思議と母親のこの言葉に沸々と「やる気」が湧いてきました。それからは勉強にも熱が入り、翌年、1年遅れですが見事、中学入学を果たしたのです。
 確実に自信がついてきたところで、15歳の時に、今度は父の勧めで広島陸軍幼年学校を受験することになりました。しかし、身体検査で不合格。学科試験さえ受けさせてもらえなかったのです。この時ほど落胆したことはありません。そんな私に突然父が口にしたのが「お前は大人を相手に出来ん。一生子どもと暮らすか」という、意味不明の言葉。そして「学校の先生は良いぞ」と一言付け加え、師範学校の受験を勧めたのです。
 翌年受験した広島師範学校には、2番の成績で合格。師範学校に入学した私は、スポーツにも積極的に参加しました。挑んだ陸上大会では好成績を修め、劣等生から一転、「サブちゃん!サブちゃん!」と黄色い声援を受けるほど人気者になったのでした。





昇地 三郎先生(しょうち さぶろう)
1906年、北海道釧路生まれ。医学博士・文学博士・詩人。広島文理科大学卒(心理学)。
三才児教育学会会長。
「手作りおもちゃ親子愛情教室」はユネスコやコロンビア大学など世界でも高く評価され、テキストも5ヵ国で翻訳されている。4年連続世界一周講演。
昇地三郎先生の5年間の活動が掲載されています。
http://blogs.yahoo.co.jp/shiinomi100


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